響き

近似であり、未知である事に惹かれるのかもしれない。

 

たむけ (デジパック仕様)

たむけ (デジパック仕様)

 

 小さな差分の中でのミクロとマクロ。

モンゴロイドとしての共鳴、人体としての共鳴。身体を響かせる事を意識して発声した折坂悠太、彼の歌に感じる郷愁は全身全体であらゆる物を受容する子供の頃に感じた言語化出来ない震えのようなものを引き起こす。

 近くて遠い、ありそうでない。

身体の芯の部分にまとわりつく、自分の感覚の中で捉えている音楽とも違う、音に纏わる活動。

 

ソフトに死んでいる

そんな感覚

Adventure

Adventure

  • OOHYO
  • ポップ
  • ¥1600

イギリスに拠点を置く韓国人のoohyo

ここ最近、アジア近郊への興味が強い。

音楽は韓国がいい。元々はTBSラジオのlifeで聞いた、韓国は国外のマーケットをにらんだ娯楽産業の作り方をしているって言うのが頭にあって、興味はあったのだけれど探すための術がなかったから積極的に音楽を聴いていなかったのだけど、hyukohの登場とApple Musicをきっかけに探すようになった。

そんなタイミングでちょうどEYESCREAMの韓国カルチャー特集を発見、

 

 

 

 

 

 

hyukohが表紙だし、ジャンル問わず音楽の紹介もあるしで、Apple Musicに少しでもあればと思い購入。そこに載っていたのがoohyo

とても柔らかい手触りで、輪郭がボヤけた音楽は閉鎖的で心地よいのだけれど、英語に混じって聴こえるハングルは歌詞を見ても意味を推測することすら許さない程に拒絶的な態度で、自分の中にある無力感を増長させる。

歌詞の意味を知ったとしてもこの気持ちが晴れることはあるのかどうか。誰にも助けを求める事が出来ない。一方的に受け手に回るしかない音楽で、同調も反発も出来ない言葉を聴くことは、心地よいメロディを一転やり切れない気持ちを呼び起こすきっかけになってしまった。

すごく良い曲で、好きな雰囲気を持っているのに自分の中に起き上がった気持ちが今までと同じ方法で拍手を送る事を許さない。

金縛りに似たモヤモヤとした拘束感、天井を見つめるしか出来ない息苦しさをただ溜め込むしか今は出来ない。

QUIERO V.I.P

あぁ、学生の時なら聴いてるかもね。

母親に好きなバンドの曲を鼻息荒くして聴かせた後の感想だった。今はもう、それが誰の何ていう曲か忘れてしまったけど、そんな風に言われても仕方がないなと思う曲はいくらでもある。生意気にも若者の間で流行りのバンドの曲に似たような感想を抱くことは少なくない。

どこのレーベルの誰がアツいとか、これを聴いてなきゃ人生損してるとか、これは自分の事を歌った曲だとか、そんなの、何周したかわからない。それでも、自分の中に残る音や歌詞はあるし、そんな感想は僕だって沢山吐いてきた。だって今しか今は無いから。

みんながそれぞれの時代でそれぞれに似たような感想を持つべきだし、大事にしたい自分だけの音楽は必ず人生を豊かにするし、マイルストーンとして、タイムマシンとしてそんな人生変えちゃうくらいに思えるものなんて出逢おうとして出逢えるものじゃ無いから。

 

だけど、QUIERO V.I.Pはずるいと思う。

どんなに斜に構えていても、生意気で幸せだもの。憧れる無頼や甘い幸せを、確かな幻想を、非現実を叩き込んでくる。今だけかも知れない、今だけかも知れないけど、今は最高のポップを与えてくれる。

 

澄み切った空気の中で天真爛漫を。

 

 

 

QUIERO V.I.P.

QUIERO V.I.P.

 

 

 

交信

時間を超えて、音楽の話を父とする

thundercat

何を聴いて育てばこんな音楽を愛せるのか。

 

いまの時代の雰囲気を表すのがthundercatだとしたら、余りにも洗練されていて、かつ、30代に足を踏み入れた自分にとっては記憶のはじめの方の音楽に近い。

 

ジャケットを見た限りでは父の聴いていたマイルスを。音を聴いてはまだ知らない父の青年期を。

 

知らない私のノスタルジーを刺激する、確かに身体が揺れる音楽は誰のものなのか。人が作って人が聴く、何を模す事もない、自然と呼ぶ環境の中に身を置いた、自身の作り上げたどこからも自動的には辿り着けない理想の原型を受け入れる人の為の音楽なのかも知れない。

 

 

Drunk [帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]  (BRC542)

Drunk [帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤] (BRC542)

 

 




シティ ポップ

言葉の定義はゆらぐものだと思っている。意味が深くなる事も分散する事ももちろん起こる。
シティポップは推測するに、レコード会社や音楽誌が作った言葉なんだろう。それまでの邦楽の潮流に無かった都会的な音楽を指して一つのジャンルを新しく設定しただけなんだと思う。それが80年代。
2000年代後半になり、東京インディーズと呼ばれたバンド、ミュージシャンがシティポップの次代の旗手として取り上げられる。その界隈のバンドを好む私はシティポップブランドが多少一般的になるに従って思ったのだ、シティポップって一体なんだ?と。
様々なシティポップ像があるようで、私は 森は生きている をシティポップとして聴けないのだけれど、彼らもそこに位置するらしい記事をどこかで読んだ。
都市をシニカルに捉えた音楽がシティポップなら、ナンバーガールだってシティポップになってしまう。別に問題はないけど。

思うに、シティポップはシティのポップスであり、シティを歌ったポップスであれば誰が分類されても良いのだ。もう、ラブソングと同じ位にシティポップで良いはずなんだ。

私が音楽を聴くのは、自分のものにできる音楽を見つけるためだから、プレイヤーがジャンルの分け方についてどうこう言うのはどうでもいい事なんだ。

内にこもる

アンティーク調の小物を求めてみたり、田舎暮らしに憧れてみたり、和菓子を欲しがってみたり。
若い人、20代がそんな感じの趣向を持つような話を読んだり聞いたり実感したりするのだけど、発端は何処にあるのかな。
今現在60歳前後の人達が目立つ場所で現役でいる事で若い頃の話をする。そんな風に成りたい、年を取りたいと思う。
自分に足りないものを吸い上げる。
記憶の中の要素を思い浮かべる。小さい頃の記憶、安心できた場所、原点のようなもの。祖父母の家、非現実、許容してくれる場所、遊び、おやつ。
今の生活、現実。甘える場所、人。
選びたい。選ばれる準備をする土地、人。シーン。見栄え。見栄。
内側を覗けば、止まった時間のある一点。自分の事は自分が一番よく知っていて、誰も理解出来ないと思い込む事。幸せの絵を描けば、これまでの経験だけが頼りで、これからの想像に目が向かない。いい事ばかりを拾い集めてしまう。
自分だけと思う人の画一とブームにしかならない動き。生活のコスプレ、上塗りの生活。可能性を見上げて作るべきこれから。
寂しいのかなみんな。内側を覗きすぎた結果の懐古じゃ無かろうか。

思った事

大学の時の同級生が死んだ。
特別親しかった訳では無いけど、親しくなかった訳でもなかった。
旅行も何度か行った。多分2回くらい。
スキーと富士登山
家に泊まったのは結構多い方だと思う。
数えられない。高円寺だった。近所の酒屋でアサヒビールの1リットル缶を買って飲んだ事とかある。夜中のコンビニでDVD付きのエロ本買ったりしたし。100均で自分用のグラスも買った。細かくてカラフルなドット柄だった。後日他の友達が来た時にそれのセンスがいいって言われたって聞いた。ピンクの象の置物があって、そいつの手が届かないような高いところに置いて意地悪したりした。流行りもんの小説とか漫画とか置いてあって、大学生らしい大学生だなってバカにしてた。カラオケも一緒に行った。ラッドウィンプス歌ってたけど、普段の話し方と一緒で声がフラフラしてた。バイト先の友達とディズニーランド行った写真がコルクボードに貼ってあって、それもいかにも大学生みたいでバカにした。
謙虚なのかなんなのかいつも態度が小さかった。そんな気がする。話し方とか仕草が小さかったからかな。自信が無さそうに見えた。本当にそうだったかもしれないし、全く違った面があったのかもしれないけど分からない。遊んでくれてたって事は嫌では無かったのかな。
あいつの就活が始まったあたりからはほとんど遊んでない気がする。避けられてた様な気もするけど、それはこっちだったのかもしれない。卒業してから話したくなって連絡した事が何回かある。その時に電話にもメールにも反応が無かったから避けられてると思ったんだった。人伝てに元気では居ることを聞いて、なんで連絡返さねーんだよ。と思った事もあった。少しいじけてたんだと思う。僕が。去年、三年ぶり位に会えた。そう言えば家に遊びに行ってた面子だ。そう言う会だったんだっけ?池袋西武の屋上のビアガーデンで、僕が珍しく時間通り来て、久しぶりって言って、音信不通になりがちな二人が時間通りって変で笑った。そう言えば、お前避けてただろ、とか、就活うまく行かないと仕方ないよなとか話した気がする。避けてた話は許したんだった。本人に言ってすっきりしたんだもん。その会はやっぱりみんな自由で、学生の時みたいに遅刻したり一次会すっ飛ばしたりしながら、一瞬だけどみんな揃ったんだよ。確か。
大学院出た後、やっぱり就職うまく行かなくて、専門学校に通って、ちょうど働き始めたばっかりで横浜でSEやってるって話とか、アルバイトの彼女と猫と暮らしてるって話とか、セックスがマンネリで面倒くさいって話とか、本当に、本当にどうでもいい事しか話さなかったしこうやってまた揃ったんだったらまた当たり前に会えると思ったんだもんな。
卒業して会わない奴らが沢山いる中で一回でも会えればそれは凄い事で、また年一でも会えればそれ位がちょうどいいって思ったよ。何回か繰り返してればきっと誰かが結婚して、家族が増えて、また家に遊びに行く事もあったかもしれ無かったよな。おっきな事とか無かったけど、ビアガーデン楽しかったな。今年も行きたいよ。俺は。
仲良くも無かったって思ってたけど、思い出せば出すほど仲よかったじゃん。知らない部分多いだろうからってそんな事ないって思ってたけど、俺は仲良かったと思う。忘れててごめんな。