PLMS考

音楽的な事ではなく、覚悟としての音楽のあり方や個人的に感じる仕事を選ぶ事。他人の人生としてのceroに望むことは営みの側の音であり、内省的な思考と活動と思う。それはとても個人的なエゴに基づいた希望であり欲求でもある。人の体が動く音としてのダンスは頭から発せられる物よりも裏側、もしくは内側にあるもので、ひねり出すよりもそこに発現してしまった、あたかも偶然のような状態が好ましくて、それは洗練されてはならないし、熟れることは以ての外。観察し、見えてしまったものは事実として既にそこにあったものでありそれが何かもわからずに飲み込んだ状態こそが芯に響く表現で、例えそれがフェイクであっても一時の気の迷いを起こさせたのであればその時点で表現としての成功なんじゃないだろうか。そこに民藝の美しさもあるし、匿名性すら発生するんだと感じられる。動物としての身体性は自発であって自発でない、カテゴライズを許さない表現を授ける、ただの運動の軌跡がそこにあるのみ。作家性と言う名の手癖はただの手癖であり、無意識を意識した結果なんじゃないか。そこには無意識を意識した意志が残ってしまう。それは温もりや親しみと呼ぶこともできるけど、個を遺してしまう。体が揺れることをダンス、舞踏と捉えた時点で必要以上の成熟を呼び込み、それは枠組みを自らにはめ込んでしまう。後から論じることはタイミングなど問わず、いつでも出来る事なのに、早急に回答を求めてしまう現代の悲しみで、名を広め、実を薄めざるを得ない市場を向かなければいけない立場の宿命でもある。勿論、その悲しみや、他人の宿命はは自分が感じたままを簡単には受け入れない私と言う主体があってこそ成り立つ梯子の様なものなのだけれど。杭を打つとすると、これはレビューや感想ではなく、こうでありたいと思う自分への戒めとしてのメモ。

 

 

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

 
POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤B)

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤B)

 
POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

 

 

 

どどど

ドラえもん

ドラえもん

脳内リピートが止まらないから久しぶりにiTunesで一曲購入してしまった。

 

星野源無双感が凄いんだけど、それにしても圧が強すぎて頭が混乱してくる。

 

夏休み前の、吸い込まれるような永遠を感じさせる放課後夕暮れにはまだ早い1日の青空の終わり

入道雲と裏山、広くて想像が及ばない世界の中にある つまらなく、全てが想像できてしまう日常。内と外がハッキリしているイマとココ。

似たような環境が地続きでこの世界には無数にあることなんて分かってるし、実際に足を踏み入れて確認する必要なんてない様に思ってる。

だって世界は自分がいるこの場所だけだから。

それでも、気がつけないような小さなキッカケに自分が知っている内側より深く内に、想像していた外側を楽に超えてしまうようなもっと広大な外に放り出されてしまう。

さっきまでの日常とは切り離されてしまっても、未来から現在にこぼれ落ちてしまったこの先に起こりうるはずの事実を信じていられれば、それだけ強く正直でいられれば放り出されたと思った想像の及ばなかったその場所も必ず現実のイマに繋がっているはずだし、未来の足跡だって現実のものに出来るんだ。

 

81.3

LIVE OASIS、企画ライブは約十年ぶりで学生の頃に行った対バンのライブみたいな自分の中のバチバチ感はなく、スケジュール管理の行き届いたイベントとして楽しめた。

ceroとペトロールズ。

大人がバンドで生きていく意味や覚悟を二つの方向からつかみ取れる様な、良いマッチング。

人としてのリアリティを感じたのはペトロール

音楽家としての業を感じたのはcero

 

多分、先を歩いているのはペトロールズで、スリーピースとしての濃度を高めた上で、付いてくる客の満足度を最大化させる様な編曲とコーラスワーク。正しいかはわからないけど、バンドの芯をひたすらに突き詰めようとするとこうなるのか、と。

大衆の為のものではないロックンロール。一周回って釘を使わないタイプの木造建築の様。

無音状態すら味方につける正確に散りばめられた音。ひけらかさないソロパート。進む方向は違えど日本語のタイム感をしっかり感じさせるのは本質的に現代のはっぴいえんどとして考えても良い気がした。ゆらゆら帝国は殿堂入りで。

 

suchmosが売れたおかげで自分達がやりたい音楽ができるとも言ったcero

多分、今の邦楽で星野源の次に時代に愛されているバンドだと思う。

たくさんの音楽がある中で、好きな音楽を突き詰めて行こうとしても付いて来てくれるお客さんが居るのは受け手が多様化し過ぎたおかげなんじゃないかと思う。

電波を通じて広く聴かせるよりも、その場の空気を震わせる事に重心を置いた様な演奏。

もう、妖怪になりかけてると思う表情、空気感。なんで伝統芸能とか神事みたいな密度の高い音楽が作れるのか。何食ってたらそうなる?って思ってしまって泣きたいのか笑いたいのかわからない気持ちにさせられた。

初めてのライブで推測に過ぎないけど、今のモードや姿勢の意思表示が現体制で、妖怪として生きて、おとぎ話になる入口なんだと思った。

もう、変な責任感とかそこら辺にほったらかしてなる様になればいいし、このまま進んでくれるなら付いて行かざるを得ない。そんな強さを感じた。

 

総じて、自主企画的な対バンやイベントよりも、自己プレゼンの色が強くなるって言う点においてメディアの企画するライブはしっかり楽しめるのでは、と思った限りです。

 

響き

近似であり、未知である事に惹かれるのかもしれない。

 

たむけ (デジパック仕様)

たむけ (デジパック仕様)

 

 小さな差分の中でのミクロとマクロ。

モンゴロイドとしての共鳴、人体としての共鳴。身体を響かせる事を意識して発声した折坂悠太、彼の歌に感じる郷愁は全身全体であらゆる物を受容する子供の頃に感じた言語化出来ない震えのようなものを引き起こす。

 近くて遠い、ありそうでない。

身体の芯の部分にまとわりつく、自分の感覚の中で捉えている音楽とも違う、音に纏わる活動。

 

ソフトに死んでいる

そんな感覚

Adventure

Adventure

  • OOHYO
  • ポップ
  • ¥1600

イギリスに拠点を置く韓国人のoohyo

ここ最近、アジア近郊への興味が強い。

音楽は韓国がいい。元々はTBSラジオのlifeで聞いた、韓国は国外のマーケットをにらんだ娯楽産業の作り方をしているって言うのが頭にあって、興味はあったのだけれど探すための術がなかったから積極的に音楽を聴いていなかったのだけど、hyukohの登場とApple Musicをきっかけに探すようになった。

そんなタイミングでちょうどEYESCREAMの韓国カルチャー特集を発見、

 

 

 

 

 

 

hyukohが表紙だし、ジャンル問わず音楽の紹介もあるしで、Apple Musicに少しでもあればと思い購入。そこに載っていたのがoohyo

とても柔らかい手触りで、輪郭がボヤけた音楽は閉鎖的で心地よいのだけれど、英語に混じって聴こえるハングルは歌詞を見ても意味を推測することすら許さない程に拒絶的な態度で、自分の中にある無力感を増長させる。

歌詞の意味を知ったとしてもこの気持ちが晴れることはあるのかどうか。誰にも助けを求める事が出来ない。一方的に受け手に回るしかない音楽で、同調も反発も出来ない言葉を聴くことは、心地よいメロディを一転やり切れない気持ちを呼び起こすきっかけになってしまった。

すごく良い曲で、好きな雰囲気を持っているのに自分の中に起き上がった気持ちが今までと同じ方法で拍手を送る事を許さない。

金縛りに似たモヤモヤとした拘束感、天井を見つめるしか出来ない息苦しさをただ溜め込むしか今は出来ない。

QUIERO V.I.P

あぁ、学生の時なら聴いてるかもね。

母親に好きなバンドの曲を鼻息荒くして聴かせた後の感想だった。今はもう、それが誰の何ていう曲か忘れてしまったけど、そんな風に言われても仕方がないなと思う曲はいくらでもある。生意気にも若者の間で流行りのバンドの曲に似たような感想を抱くことは少なくない。

どこのレーベルの誰がアツいとか、これを聴いてなきゃ人生損してるとか、これは自分の事を歌った曲だとか、そんなの、何周したかわからない。それでも、自分の中に残る音や歌詞はあるし、そんな感想は僕だって沢山吐いてきた。だって今しか今は無いから。

みんながそれぞれの時代でそれぞれに似たような感想を持つべきだし、大事にしたい自分だけの音楽は必ず人生を豊かにするし、マイルストーンとして、タイムマシンとしてそんな人生変えちゃうくらいに思えるものなんて出逢おうとして出逢えるものじゃ無いから。

 

だけど、QUIERO V.I.Pはずるいと思う。

どんなに斜に構えていても、生意気で幸せだもの。憧れる無頼や甘い幸せを、確かな幻想を、非現実を叩き込んでくる。今だけかも知れない、今だけかも知れないけど、今は最高のポップを与えてくれる。

 

澄み切った空気の中で天真爛漫を。

 

 

 

QUIERO V.I.P.

QUIERO V.I.P.

 

 

 

交信

時間を超えて、音楽の話を父とする

thundercat

何を聴いて育てばこんな音楽を愛せるのか。

 

いまの時代の雰囲気を表すのがthundercatだとしたら、余りにも洗練されていて、かつ、30代に足を踏み入れた自分にとっては記憶のはじめの方の音楽に近い。

 

ジャケットを見た限りでは父の聴いていたマイルスを。音を聴いてはまだ知らない父の青年期を。

 

知らない私のノスタルジーを刺激する、確かに身体が揺れる音楽は誰のものなのか。人が作って人が聴く、何を模す事もない、自然と呼ぶ環境の中に身を置いた、自身の作り上げたどこからも自動的には辿り着けない理想の原型を受け入れる人の為の音楽なのかも知れない。

 

 

Drunk [帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]  (BRC542)

Drunk [帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤] (BRC542)