work shop
wonder future
アナログの発売が待ちきれなくて、ダウンロードで購入しました。
アジカンが自分の中のヒーローになった事はなくて、名前を聞くようになったのは高校二年生のころだったかと思う。当時は電波塔が好きで、恋愛云々を意識し始めて自分の気持ちを整理する時にはアジカンが言葉の手助けをしてくれてたように思う。友達とふざけて曲を作ろうって話をくれた時に参考にしたのもアジカンだったな。
僕はゴッチほど熱い人間でもなくて、大学に入ったころのソルファ以降のアルバムは聴こうとしなかった。その頃にゆらゆら帝国を聴いたりベボベを聴いたりドーパンや、HIGEや、オウガを覚えてくるりと100s、カエラに夢中になってた。
洋楽よりも邦楽の言葉遊びが僕には大切で、ルーツを辿りやすいものに執着していたのかもしれない。
彼らがマジックディスクを出した頃、僕は大学の留年から派生した窮屈な雰囲気の中にいて、就職の事に頭を悩ませては、新しいチャレンジをする他人に慰めてもらってばかりいた。そこからだと思う、アジカンに帰ってきたのは。
今の彼らは自分達をスタンダードにするためのステップを踏んでいる。
チャレンジは続いていて、それは僕の背中を少し押してくれる。
see you blue
寂しそうな男の声に弱いのかも知れない
awesomeな街
バンドにこだわって音楽を聴くことから卒業しても、いわゆる初期衝動みたいなものには固執してしまっていて素直にメジャー感のある整頓された音楽には物足りなさを感じてしまう。
決して嫌いじゃないんだけど、俺だけが解るこれの良さ!みたいな独占欲は刺激されない悲しさ。どのメディアに乗せても違和感ないだろうなっていう技術や器用さが醒めた気持ちにさせる。
却って二枚目以降がとても気になるバンド、Awesome City Clubその引き出しの奥を早く見せて欲しい。
僕たちは物語を身につける
名前だけで女性ボーカルと勘違いしてスルーしてた。
宅録の才能とか、シティポップがどうとか、誰かのブログを読んでいたら「彼」の記述。
男なら話は別だ。しっとりした声の女性は得意不得意が大きく振れるから、良かった。キリンジフォロワー的な曲。シニカルな雰囲気の曲が僕は好きだからキリンジを喩えに出すけど。春に丁度いい。
キリンジを感じながら、それを求めるならそれだけ聴いていれば良いのに、とふと思った。でもそうしないのはなんでだろう。気持ちのどこかで2人時代の彼らのフォロワーになる人は中々出ないんじゃないかと思っていた頃があったからな気がする。
その気持ちへの解答を得られた喜びが大きいんだろうな。
僕(たち)は小さな生活を望みながら世の中に溢れるモノ、目の前のものをそのまま受け入れようとはしない。自分が自分にとって特別なままでいるために、物語を必要とする。着飾らないように着飾るために、意味や物語を求める。内に外に。
安住したいと遠くを眺めて夢を語る。