PLMS考

音楽的な事ではなく、覚悟としての音楽のあり方や個人的に感じる仕事を選ぶ事。他人の人生としてのceroに望むことは営みの側の音であり、内省的な思考と活動と思う。それはとても個人的なエゴに基づいた希望であり欲求でもある。人の体が動く音としてのダンスは頭から発せられる物よりも裏側、もしくは内側にあるもので、ひねり出すよりもそこに発現してしまった、あたかも偶然のような状態が好ましくて、それは洗練されてはならないし、熟れることは以ての外。観察し、見えてしまったものは事実として既にそこにあったものでありそれが何かもわからずに飲み込んだ状態こそが芯に響く表現で、例えそれがフェイクであっても一時の気の迷いを起こさせたのであればその時点で表現としての成功なんじゃないだろうか。そこに民藝の美しさもあるし、匿名性すら発生するんだと感じられる。動物としての身体性は自発であって自発でない、カテゴライズを許さない表現を授ける、ただの運動の軌跡がそこにあるのみ。作家性と言う名の手癖はただの手癖であり、無意識を意識した結果なんじゃないか。そこには無意識を意識した意志が残ってしまう。それは温もりや親しみと呼ぶこともできるけど、個を遺してしまう。体が揺れることをダンス、舞踏と捉えた時点で必要以上の成熟を呼び込み、それは枠組みを自らにはめ込んでしまう。後から論じることはタイミングなど問わず、いつでも出来る事なのに、早急に回答を求めてしまう現代の悲しみで、名を広め、実を薄めざるを得ない市場を向かなければいけない立場の宿命でもある。勿論、その悲しみや、他人の宿命はは自分が感じたままを簡単には受け入れない私と言う主体があってこそ成り立つ梯子の様なものなのだけれど。杭を打つとすると、これはレビューや感想ではなく、こうでありたいと思う自分への戒めとしてのメモ。

 

 

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

 
POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤B)

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤B)

 
POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)