重ねてみえる影みたいなもの

聴かず嫌いだったミツメが好きな類のバンドだった。
気づいたのはカーネーショントリビュート
YOUNG WISE MEN

YOUNG WISE MEN

  • ミツメ
  • J-Pop
  • ¥250

低い温度で大きな展開の無い曲を歌う印象で、何も考えない時に聴くにはちょうど良かった。

聴かず嫌いの理由は東京インディーズの括りのせいで、聴かなくても雰囲気を想像してしまっていたから。

それに対する後悔はなく、いいタイミングが来ただけのこと。ただ、小さなライブに足を運べなかった事には少しだけ後悔も覚える。

ともかく、今はとてもミツメが耳に心地良い。体にまとわりつくことの無い視覚的な湿度のある音楽だと思う。
黙って聴いてるとogre you asshole,坂本慎太郎,キリンジ,JACKS,ひらくドア,スピッツ,くるり いろんなバンドの音がチラチラと見える。私にとってとても都合のいい温度の低さがある。
暗くないし、明るくない。重くないし、軽くない。もちろんそこに興奮も無い。
眠ることだけを否定する、耳を澄ませないと聴こえない白昼夢。なんだか僕にはそんな音楽に感じる。

やっぱり音楽を聴くのはやめられない。

ささやき

ささやき

ミュージックポートレート

NHKでミュージックポートレートって番組をやっている。対談形式の番組で、ゲスト2人がそれぞれのこれまでを話しながら人生のターニングポイントになった(寄り添った)音楽を紹介するような趣旨の番組だ。僕はこの流れに憧れる。ターニングポイントは訪れていたにせよ、音楽を聴いて人生観が変わるような体験をしていない。歌詞を睨んでも指針を示してくれる様な言葉はないし、そもそもそこまで思い悩む事も少ない。辛くて、思い悩んで、ふとした瞬間に耳に入った音楽や言葉に納得して何らかの決断をする。振り返ればドラマチック 程度の話かも知れないけど。
この手の話は大前提に孤独や個に立ち返ることの出来ない程の忙しさがあると仮定すると、僕には幸せな事に孤独はないし、ちょうど良い忙しさすらないって事になる。そもそも、自分に対して不真面目なんだろうと思う。まずは自分の責任の下に自分で居ることが必要だ。
まだ、ポートレートと呼べる音楽は無い。

選ぶことと(知らないうちに)選ばされていること

週末は久しぶりに新宿に繰り出した。
南口のタワーレコード、面白そうなものがあれば買おうかな、と。思ったんだけれど、TSUTAYAで借りられるものなら無理して買わなくてもいいような気になってしまった。熱を持って音楽を聴けない…。向き合う時間が必要なのは歌詞カードとは別の文字だと思っているからかな。それでもフラフラしながら気になっていたCD何枚かを試聴する。
五年前は膝が震えるような気持ちにさせられることもあったけど、全て若さのせいだったのかなと思うほど気持ちがついて行かない。
一つの棚が気になった。スカート、ミツメ、シャムキャッツceroあだち麗三郎、片想い、なつやすみバンド、柴田聡子、最近よく見かけたり友人がよく聴いたりしている。自分自身購入検討中のものが多く陳列されていた。その棚の括りは東京インディーズ。…なにか胸につかえるものがあった。たしかに、インディーズで東京近郊のバンドでってまとめ方だし、自分でもそれを求めてた部分が無いわけじゃないけど、少なくとも特集されて嬉しいものじゃない。そういうまとめはAmazonがしてくるもんだと思うし、実店舗でやられると晒し上げられてる様な気分にすらなる。溢れてる情報の中から誘導はされているにせよ自分で探し出した感覚が欲しいのに。「お客さん、そんなに歩き回ってお店の中を探さなくてもきっとあなたの好きそうなのはこの棚の前に来れば全部すみますよ」。じゃ嫌なんだ!自意識過剰な音楽リスナーはナイーブなんだから、あんまり目立たせないでくれよ。

一年の区切りの曖昧

そろそろ今年も半分が過ぎて、上半期だ下半期だの話になるけど、今年はこれだな!って感じの出来事が無いことに気づいた。音楽もしかり。良いアルバム多いわーって言いながらちゃんと意識下にあるのが無いのよ。
TSUTAYA再デビューで変な聴き方してるからってのも大きい。iTunesに最近なに入れたかわからないもの。全てリスト化するべきなんでしょうか。
別にリスト化して今年の一番を決めたところでなにが起きるわけでは無いんだけど、なんとなくやりたいもんそういうの。
ひとりでうんうん頭ひねってるのは正に趣味の時間だからさ。
とりあえずぱっと思いついた上半期これ良かったってのは
ラブビデオ

ラブビデオ

これかな、と挙げておこう。
小出くんかっこいいよ!て思ったし岡村ちゃんさすがだったし、何より明るい曲調は一番求めてるところだから。祭り感がどうしても欲しいからね。

弊害流し聴き

スカートのアルバム、サイダーの庭良いのだけれどもCOMITIA盤を買っているせいでリマスター盤を聴いている気持ちになる。
ジオラマ(ユースカ)購入者特典のDL曲も収録されているから、追いかけている意味合いが一瞬わからなくなってしまう。その辺りは早く聴くためのコストとして割り切れば良いんだろうけど、アレンジが劇的に変わることもないので聴く頻度がどうしても下がるのが自分でも腑に落ちない。
COMITIA盤の完成度が極端に高すぎると捉えた方が精神衛生上は良いのでしょう。
ポップミュージックとはいえしっかり腰を据えて聴く人向けの音楽なんだろうなぁ。時間と気持ちに余裕を持とう。

サイダーの庭

サイダーの庭

補正を無くして

泡のような愛だった。
aikoはどうしても今を見えずらくしてしまう。桜の時がはじめてラジオから聴こえたころのことだとか、雪の中買ったばかりのiPodminiで聴いた三国駅とか。フィクションの恋愛に憧れを感じながら触れていたころのことばかり思い出してしまう。
いつの間にか体感が歌詞に追い付いて、追い越して行ってしまった。aikoを聴くのは年末年始のCDTVとその前後だけになっていった。変わらないaikoに安心を求めるようになっていたのかもしれない。
新しい曲は自分のための歌じゃなくなっていた。誰か知らない人のための、必要な人のための歌になっていたように感じていた。
純粋に楽しめないから変態作曲家としての側面を横目で眺めるようになったのがつい最近の話。
それでも新譜が出るのは楽しみで、でも買うのは怖くて。聴かないかも知れないなって思っていた。片想いしてた女の子を思い出すみたいに。
でも買ってよかったって今は思う。音楽は聴き流すことも出来るから、少し残酷だけど、こわがりながらでも正面から聴いて見たらaikoはちゃんと変わってたし、自分も変わったけど、変わってないところもあるって事に気づくことが出来た。歌詞カードを眺めながら聴くことはしてないけど、時々聞こえるaikoの言葉は今でもずっと響くところがあるよ。泡のような愛だった (初回限定仕様盤)

ポッポ

オーディオオリエンテッドが純文学でポップスが大衆文学ってことなんだなぁって昨日思った。
cero聴きながら。

Yellow Magus

Yellow Magus

ただ、どっちも物語が必要なんだよね。
日常に近づいてくれないと受け入れにくくなってきたあたり音楽フリークみたいにはなれないなぁ。